Diary

2024年4月29日(月)
【近況報告】
33歳になった私は、大学卒業と同時にアルバイトで入社した会社で10年働いている。
社員になる機会をいただいて、現在は人事のいちメンバーとして、教育・育成に関する業務に携わっている。

数年前に結婚もして、少しずつだが収入も増え、家も買った。
子供はまだいない。体は健康だ。

職と収入があって、伴侶がいて、住む場所もあって、健康に過ごしている。
それでもこの10年、ずっと満たされないものを抱えて生き続けていた。
人生が止まっていた。
何のために生きているのか。と。


去年から、副業でコーチングをしている方が上司になって、人生を大きく見つめ直すきっかけをいただいた。
1年間、自分の過去を振り返り、今何をやりたいのか、私とはどういう人間なのかを考え続けた。
ここに書き綴った日記やリアルなども全て読み返した。

そんな中、2024年3月下旬、あるコーチング会社が主催するセルフコーチングプログラムに参加した。
感情が大きく揺れ動く激動の2日間の中で、私を作り上げた過去の経験たちが線になる感覚を得た。

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私は、幼い頃から今に至るまで、ずっと母に褒められて育った。
「良い子だね」「賢いね」「かわいいね「すごいね」
私は、自分が「良い子」だと疑わなかった。

母は、気分屋の父の相手をすることに嫌気が差していて、スーパーに買い物に行く度に「パパと手をつないできなさい。」と言った。
娘と手をつなげたら、機嫌が良くなるからだ。

私は、「良い子」だった。
ママにできないこと、家族の均衡を保つことが、私にはできる。
きっとこんなにはっきりと考えてはいなかっただろうが、そのようなことを感じていたと思う。

だけど、本当は、ママと手をつなぎたかった。
大きくて、力が強くて、早足で、ヒゲが痛いパパは、私にとってもみても怖かった。
大好きな安心できるママと、手をつなぎたかった。

それでも、私は「良い子」だったから、私が機嫌を取らないと家族がバラバラになると思ったから、それを言わなかった。

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3つ上の兄は、私のことをいつも貶してきた。
「ばか」「あほ」「どじ」「まぬけ」
私は、「良い子」のはずだったから、そんなことを言う兄が大嫌いで悔しかった。
それでも頭の中には「自分は本当はダメなのかもしれない」という感覚が蓄積されていった。

いつの頃だったか、兄が私のことを「拾われてきた子」だと言った。
土手に捨てられていたのだと。

子供ながらに嘘であることは分かっていた。
それでも頭の片隅にこびりついてしまった。
「いつか捨てられてしまうかもしれない。」

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父の仕事の都合で引っ越しが多く、小学校6年生までの間に7回の引っ越しを経験した。
小学校は3つ行った。
私は、「良い子」だったから、転校が嫌だと思わないようにしていた。
「転校したら新しいお友達ができる」
「何回も転校したら全国にお友達ができる」

だけど、本当は、転校なんてしたくなかった。
仲の良いお友達とずっと一緒にいたかった。
新しい学校なんて怖かった、受け入れてもらえるか不安だった。

それでも、子供ながらに「引っ越しは覆せない」ことを分かっていたから、私が家族の均衡を崩すわけにいかないから、言わなかった。

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その後の私の人生は、努力が実らないことが多かった。
中学校のバレー部では市大会に出場できず、
高校2年のときに3年生を送る会で披露した弾き語りは微妙な空気で終わり、3年の体育祭で創作ダンス長を務めたが最下位に終わり、
大学の軽音サークルでは卒業のときトリが務められず、
卒業後に通ったボイトレでは半ば諦めから本気になりきれず、
そのままアルバイト先に就職した。
そうして、人生が止まった。

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特段壮絶な人生を歩んだわけでもない。
死ぬような目に遭ったわけでもない。

私はただ、
パパを、人を不快にさせてはならない。
兄が言う通り、私はダメな人間なのかもしれない。
それでもママが言うように、良い子で、優等生で、完璧でなくてはならない。
そのために、自分の気持ちは飲み込まなければならない。ポジティブに変換しないといけない。
なぜなら、バラバラになってしまうかもしれないから。捨てられてしまうかもしれないから。
そういう信念を自分に課して生きてきたのだと思う。

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人は、こうした幼少期の体験から自分の信念、核が作られていく。

私の体験は、正直どれも「そういうのあるよね」という体験かもしれない。
ただ、体験の内容や関わった人、私が本来持つ性格などが複雜に組み合わさり、私だけの体験であったことは間違いないだろう。

この信念は心理学的に言って、社会を生きていくうえで適応的だとは言えない。
これらの信念というフィルターをもって生きていると、日々の中で生じるほとんどの事象は「完璧にできていない」に変換されてしまうからだ。

昨日なんかも掃除をたくさんしたのに、
「その他にやろうと思っていたことが全然できていないからダメだ。掃除に現実逃避してしまった。」
という評価をしてしまう。


仕事にまつわる思考はこうだ。

何か資料作成などの業務があったとして、自分の中では作業工程の全てを完璧にやって初めて及第点なので、この部分はざっくりで良い、などの優先順位を付けられず、省くことができない。
結果時間がかかり、期日までに終わらせることができない。
終わらないと誰かに迷惑をかける、不快にさせてしまうことになる。

だから休日にやって取り返さなければ。
でもやる気が起きない。
でも、社会人として自分の仕事の責任は自分で取らなければ。
でも、体が脳が動かない。
自分はなんてダメなんだ。

予定があって出かける場合も、頭の片隅には仕事のことがある。
楽しめない。自分は楽しんではいけない。
だって仕事が完璧にできていないんだから。


今までは、この思考でもなんとかやってこれていた。
しかしここ数ヶ月は自分の見つめ直していたこともあって「私は何のためにこの仕事をしているんだろう。」という漠然とした虚無感、無意味感が思考に強く加えられていた。
さらにセルフコーチングプログラム前後の時期は仕事の多さ、人を頼れない自分の性質、虚無感に支配されたメンタルの限界など、複合的な原因で重要な仕事の締切に全く間に合いそうにない事態が起き、多くの方に迷惑をかけてしまった。
自分の思考が社会に不適応的であったことが、最悪な形で表面化した。


そこから数週間は地獄のようだった。
自分を許せない。でもこれ以上迷惑をかけるのが怖くて体が動かない。でも私がやらなければ仕事は終わらない。余計に迷惑をかける。睡眠もきちんと取れない。怖い。動け。動けない。全部リセットしたい。

朝も夜も仕事中も毎日泣いた。
布団から動けない自分を、自分で怒鳴りつけて起きた朝もあった。
夫が困惑していた。本当に申し訳なかった。


自分でもこれはおかしいと気づいていた。心が限界だと。
本当はメンタルクリニックなどに行き、診断書をもらい、休職したほうが良かったのだと思う。

けれどそうしなかった。
色んな感情の中で一番強かったのが、「今休めば、一生後悔することになる」だったからだ。
パワハラを受けた訳でも、ショックな出来事があったわけでもない。
自分で引き起こしたことのツケが回ってきただけなのだ。

それを自分で責任が取れず、メンタルが辛いので休みますとなれば、休んでいる間もきっと心は休まらないし、一生後を引く思い出になる。
なんなら、回復しないまま自分を責め続け、本格的に鬱が進行する。

ここが人生における本当に大きな岐路だという確信があった。

申し訳ないと思いながらも、上司の前で涙しつつ、色んな人に頼りつつ、なんとか必要なことは期限に間に合わせることができた。


セルフコーチングプログラムのおかげで、過去の原体験にたどり着いた。
その後に起きた強烈な出来事で、今の自分では社会に、ひいては自分の人生を充実させることにおいて不適応的な認知であるということに気づいた。


ここからは未来の話だ。
私の認知を、私らしさを生かしたままどう適応的に変化させるか。
私らしい私は、一体どんな人生を歩みたいのか。



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